2月19日はプロレスの日
1955年(昭和30年)2月19日、日本で初めてのプロレスの本格的な国際試合「力道山・木村政彦組×シャープ兄弟」の試合が開催されたことに由来して、2月19日は『プロレスの日』とされています。
覆面Tシャツはいろいろあるけど、
Tシャツジャパンの覆面レスラーTシャツシリーズ
MASKMAN Tシャツ
マスク・ザ・ステルスTシャツ
Great Man’s Portrait Tシャツ
Soliten Tシャツ
(販売終了分はそのうちブログに書いてリンクします)
「他にもプロレスTシャツあったよなぁ」と思い出したのがこちら!
(2004年発売。生産終了アイテム)
バカレスラーTシャツ
Photo/れいん Model/ぺま
Tシャツジャパン初のバカTシャツは、その名もバカレスラー!!
大ヒット映画「いかレスラー」の人気に便乗した企画Tシャツです。
バカ映画の巨匠、河崎実監督が「えびがボクシングをするなら、いかがプロレスをしてもいいじゃないか。」と新日本プロレス西村修主演の映画「いかレスラー」を作ってしまったように「いかがプロレスするならバカがプロレスをしてもいいじゃないか。」と勢いだけで作ってしまいました。
『いかレスラーの歌』の♪いかいかいかいか、いかレスラー!♪っていうのを聴いているうちにあまりの馬鹿っぽさに、♪バカバカバカバカ、バカレスラー!♪と替え歌を歌っている自分に気づき
「バカレスラー!!!コレだ!!」
「お前はバカだ!!、バカになるのだ!!」
と、思いっきりバカに作ってみました。
「馬鹿になれ」って言われても「もとからバカなんです」まいったか、コノヤロー!!
※このTシャツを着てペンションに遊びに行った勇気のある人は、ペンションの人に「これ、大人が描いたんですか? 」って聞かれたそうです。
そうなんです。「大人が描いたんじゃなく、バカが描いたんです!!」
※「女は肉」や「私は日本人です。」をバカTシャツと言う人がいますけど、これらはメッセージTシャツであってバカTシャツではございません。
バカレスラーだけがバカTシャツなのです。
注:バカレスラーTシャツは、映画「いかレスラー」のヒットに便乗して制作しただけで「いかレスラー」とは全く関係がございません。
Text:nonakaaan
イラスト(落書き?)のポーズは『週刊プレス』に載ってた永田裕志選手の写真を見て描きました。
カラーバリエーションは白のみ。
サイズはS,M,L,XLでした。
Photo/れいん Model/ぺま
Photo/HiROYUKi Model/Yusef@NY
Photo/橋本貴志 Model/hikaru
クリエイタープロフィール
nonakaaan
(覆面画家ロッキン・ジェリー・ビーン画のミル・マスカラスポスターをバックにエル・カネックの覆面で)
Tシャツジャパン代表。池袋の怪人。
広告関係の会社で長年リーマンをしていたが、1999年4月、突然WEBデザイナーに転身。その年の9月、初めてニューヨークを訪れNew Yorkのグラフィックアートに触れる。2000年6月、有限会社アイデザイン設立。その直後の2000年7月、3度目となったニューヨークでアーティストデビュー。2003年9月、アジア初のカウパレード「CowParade Japan」デザイン公募にて「SUMOOOOO!!!」カウが選出される。2006年から“Tシャツジニアス”を名乗らせてもらっている面白がり屋。
プロレス関係の仕事
掣圏道(SAプロレス)首都圏旗揚げ戦ポスター